haru-kanaのブログ

会社員→リハビリ職→→なんでも来いのセラピストを目指す

【つれづれ】ただ存在すること

実家で猫を飼っていた。

 お腹が空いたとき、遊びたい時だけ近くに来て、
かわいらしい声で鳴いてくる。
真っ白な毛と、大きな黒い目、
ふだんは呼んでもフンといった感じで
目をちらとこちらに向けて、
そのまま眠ってしまう子で。

 

でも、どんなに愛想がなくても、
機嫌がわるいときも、
ただそこにいる、それだけで、
もう十分によかったんだな、と思う。

 

寿命を全うして、だいぶん前に亡くなってしまったけれど、
いまでも、時々思い出す。

 

ただ居る、ただそこに居る、という存在そのものが、
もうすでに十分に、こちらに何かを与えてくれてるんだと。
存在することって、
ふだん当たり前すぎて、気づきもしないけれど、
存在することは、存在しなくなってより強く意識される。

 

当たり前のように在ること、存在することは、
実は当たり前じゃない、と気づくことは、
大切だなと思うし、

それはそのまま、
自分が存在することも、まわりの人にとって
存在することそのものが、大事なことなんだと、
自分にも当てはめてみることが
自分を大切に思うひとつの気づきになる。

 

何をしたから大切、
何をしてくれたから大切なのではなく、
ただ在ること、存在することの大切さ。

 

まわりの人も、
そして自分も。

 

それを意識すると、人にも自分にもやさしくなれる。
きっとね。

 

f:id:haru-kana-h:20170425202211p:plain

【自分をみつめる】からだとの対話②

(つづき)

で、じゃあ、どうやって聞いたらいいのさ、というのは、

まずは静かに目をつぶって、自分のからだのあちこちを、一つ一つ感じてみてはどうだろう。


ゆっくり呼吸をしながら、あ、右肩が重いなぁとか、足先がなんだか冷えてる感じだなぁとか、お腹が張ってるなぁとか。一つ一つ、意識を向けてみる。

そのとき、痛いところがあって、痛いなぁと思っても、痛いから嫌だなぁ、これから悪くなるのかなぁ、とか、自分の感情の方に引っ張られないように、ただ、からだを丁寧に感じること、そこに意識を向けてみる。

そしたら、こんどは動いてみて、自分がふだんどんな動きをしてるかなぁとか、食べた後はこんなふうに感じるなぁとか、生活の中での体の反応を感じてみて。

ふだん何気なくしている姿勢、あ、こんな姿勢よくしてるなぁ、とか。歩き方にはこんなくせがあるんだなぁ、とか。

 

気づくと、たくさん見えてくることがあるし、そうすると、ふだんの自分のからだを知っておくと、すこし動きを変えてみたりしたとき、風邪を引いたとき、疲れているとき、ふだんとの違いが感じやすくなってくる。

これまでは気付かずにいた、目を向けずにいた、体の変化に気づくことが出来ると、じゃぁ、どうしたらいいだろう、と考える機会が生まれる。自分のからだにとって心地よくなるにはどうしたらいいかな、といろいろ試してみる。
よい結果がでたら、それを次にも生かしてみたり。

 

その繰り返しが、からだとの対話で、ふだんの生活でそれを続けていくことが自分のからだを健やかに保つ方法なんだと思う。

たぶんね。でもそう思う。

 

f:id:haru-kana-h:20170423210547p:plain

【自分をみつめる】からだとの対話①

からだとの対話。

…って、実際にからだが話をするわけではないけれど、からだの反応を見て、感じて、耳をすませると、からだがこう言ってそうだなぁ、と感じてくる。

リハビリをしていると、自分のからだと対話することが得意な人、苦手な人がいて、
それは才能というよりも(すごく上手な人は才能の部分もあるだろうけれど)
自分のからだと対話しようとしてきたか、しているか、という経験のちがいだと思う。

だから、あるとき急に「わかりました!あなたの言ってたこと!」とからだの声に気づく人もいて。

若いうちは、からだの声を聞かなくても多少無理がきいてしまうし、からだに無理をさせてしまうことが多いけど、そうすると、いざ年を取って、からだに不調が出てから対話しようとしても、不調に目が行ってしまい、なかなか、からだと対話するのが難しい、ということもあったりする。

難しい、というより、そんなこと考えたこともない、出来るわけない、と思い込みがあったりすると、からだの声を聞く準備さえできない、となったりして。

意外とね、かんたんなんです。対話。
でも、聞こうとしなければ、聞こえない、ということ。
からだは一生懸命話してくれてるんだけど、こちらが聞こうとするかどうか、なんだと思う。

 

(つづく)

 

f:id:haru-kana-h:20170423210546p:plain

【自分を見つめる】会社勤めのころ

むかし、会社勤めをしていた。

 

いや、いまも一応組織に所属しているけれど、会社に出社して、決まった時間に会社で仕事して、というスタイルとは少し違うので、あくまで、むかしの会社勤めのころ、なんだけど。

その会社は学校を出て新人として初めて勤めたところで、9時から5時まで(残業もしつつ)経理の仕事を主にしていた。ある程度決まった業務内容を、いかに効率よく進め、分かりやすくまとめるか、みたいなところに力を使っていた。

 職場は男性(おじさま方)が多くて若かった当時はかわいがられていたと思うし、仕事に関係する資格をとったり、就業後に習い事をしたりと、それなりに日々の生活を楽しんでもいた。

 

でも何年か経って、猛烈に動き出したくなったのだ。それは、少しずつ少しずつ、自分が檻の中で縮こまっていく感じ。自分が少しずつ死んでしまって行くような感じがして。

 まわりを見渡せば、恵まれている職場とも言えたし、実際、辞めるとなったときは、会社の内外から「もったいない」とか、我慢が(足り)ない、といった声も少なからず聞いたりした。

それでも、お金がどうとか、環境がどうとか、そんなことではない、ただ、猛烈に自分が死んでしまってはいけない、という切迫感のようなものに突き動かされて、会社を辞めた。ほかにやりたいことが出来た、というのも、もちろん大きかったけれど、たぶん、それがなくても、辞めていただろうなぁと思う。


あれから何年も経ち、収入や環境の面でいえば、まだまだ会社員時代の方が良かったじゃん、って言われるとは思うけれど、当時の会社員時代の人と会ったなら、たぶん、「いい顔してるね」って言われると思う。

 というか、たとえ言われなくても、私自身が言えるから、自分が選んだ道を(自分にとっての)正解にしてきたんだろう。自分にイエスと言えるよう、これからも生きていこう、と、進学就職のニュースが多いこの時期に、ふと思う。

 

f:id:haru-kana-h:20170421175120j:plain

【ダイエット】的な?

ダイエット、するぞ!と思うと意気込みすぎてうまくいかない。
体重が減ったとしても、リバウンドしやすい。
気持ちの力が入りすぎると、かえって自分をおさえこんでしまうので、反動がきてしまったり。

そもそも、なぜやせたいのか、その前に、なぜ太ったのか、を自分なりに明らかにしておかないと、ダイエットの是非も、やり方も、維持する方法も、なかなかうまく行かないんじゃないかと思う。

で、失敗するとそれがマイナス因子になって、再びやろうとする意思をじゃましてしまったり。

…ということで、
意気込まない、お気楽ダイエット開始。

【自分をみつめる】住まいからにじみ出るもの

春。
あたたかい日差しを感じながら町を走る。
リハビリの仕事で、病院ではなく、患者さんのご自宅にうかがっている。

”家”は、ほんとうに人それぞれだ。
その人、その家族の、人となりや、その時々の状態などが、とてもはっきり表われている。

整理整頓きっちり!な家は、やはり住んでいる方も、そんな雰囲気だったり、
物が雑然と広がっている家は、これまた、そんな雰囲気をまとった方だったり。

そしてまた、一見、家とご本人の印象が異なることもあって。
そんなときは、でもよくよく見て感じると、どこかにそのつながりが見えてきたり。

だから(外の人間に見られるから)きれいにしましょう、ということではなく、人って、どんなに隠そうとしたり、よく見せようと思っていても、にじみ出てしまうものなんだなぁということ。

ま、当たり前といえば当たり前なんだけど、これが自分のことになると、ついつい忘れがちなので、こうやって書き残してみたり。

あ、でも、もちろん、どんな家が正解か、なんてことはなく、
ただ、自分で自分の家を客観的に見ることも、ふだんはなかったりするので、お客さん目線で見てみるのもいいかなぁと。

否定じゃなく、責めるでもなく、ただ、自分はこんなことに興味があって、いまはこんな状態で、こんなことに目を向けてるんだなぁ、と自分をふり返る、そんな時間もたいせつだなと。

忙しくても、「心を亡くす」ことないように。