haru-kanaのブログ

会社員→リハビリ職→→なんでも来いのセラピストを目指す

【つれづれ】ただ存在すること

実家で猫を飼っていた。

 お腹が空いたとき、遊びたい時だけ近くに来て、
かわいらしい声で鳴いてくる。
真っ白な毛と、大きな黒い目、
ふだんは呼んでもフンといった感じで
目をちらとこちらに向けて、
そのまま眠ってしまう子で。

 

でも、どんなに愛想がなくても、
機嫌がわるいときも、
ただそこにいる、それだけで、
もう十分によかったんだな、と思う。

 

寿命を全うして、だいぶん前に亡くなってしまったけれど、
いまでも、時々思い出す。

 

ただ居る、ただそこに居る、という存在そのものが、
もうすでに十分に、こちらに何かを与えてくれてるんだと。
存在することって、
ふだん当たり前すぎて、気づきもしないけれど、
存在することは、存在しなくなってより強く意識される。

 

当たり前のように在ること、存在することは、
実は当たり前じゃない、と気づくことは、
大切だなと思うし、

それはそのまま、
自分が存在することも、まわりの人にとって
存在することそのものが、大事なことなんだと、
自分にも当てはめてみることが
自分を大切に思うひとつの気づきになる。

 

何をしたから大切、
何をしてくれたから大切なのではなく、
ただ在ること、存在することの大切さ。

 

まわりの人も、
そして自分も。

 

それを意識すると、人にも自分にもやさしくなれる。
きっとね。

 

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