haru-kanaのブログ

会社員→リハビリ職→→なんでも来いのセラピストを目指す

【つれづれ】手を当ててみると・・・

子供のころ、体のどこかをぶつけて痛くて泣いていると、母親が、ぶつけた場所に手を当てて、だいじょうぶ、痛いの痛いの飛んで行けーと、やさしくおまじないを唱えてくれた。そうすると、なんだか痛みもすこし楽になった気がして。手を当てて、やさしく言ってもらったことで、本当に大丈夫なんだ、と安心した気持ちになれた。
 
むかしむかし(薬やお医者さんにかかることが今ほど一般的ではなかったころ)は、それは一つの療法であり、いまでもお手当療法、として大切に受け継がれているけれど、ふだんの生活では、なんとなく、気のせい、気の持ちようだ、と思われている部分も多そうな気がする。
 
ぶつけて痛がっている大人に、同じようなことをしたら、苦笑されたり、恥ずかしがられたり、子供の時に感じたような、本当に大丈夫だ、という感覚には、なかなかなりにくいかもしれない。(もちろん、ある程度の関係性があった上で、だけど)
 
でも実は、手当てって、想像している以上の力があるんだと思う。
もちろん、手を当てるだけでも効果はあるけれど、当てる側が、ゆっくりした気持ちで、痛がっている相手が楽になる、と思いながら当てると、それはとても大きな力になる。
そして、大丈夫、と本当にそう思いながら伝えると、その言葉がさらに力になって、痛みを和らげてくれる。
 
痛み自体を、というよりも、痛みを感じている人自体を和らげてくれる感じ。
 
言葉も、本当におまじないの効果があって、大丈夫だと思いながら手を当てることも、とても不思議な力を持つ。
 
大人になって、いわゆる常識を知っていくと、なんだか馬鹿らしい、子供だまし、と思ってしまうようなことであっても、それが大昔から続いているようなものには、経験値として積み重ねられ、伝えられてきた、たしかな効力というものが在るんだ。
 
言ってしまえば、タダで出来ることだから、取り入れて損はないし、痛がっている人だけでなく、手当てをする側にとっても、相手とつながって自分もある意味力がでてくるものだと思うから、恥ずかしがらず、ぜひやってみることをおすすめ。
 
余裕がある時は?お手当する側がイライラしたり怒った気持ちで手当てをしてみたら、おだやかな思いやる気持ちでしたときとの、はっきりした効果の違いに、ちょっとびっくりするかもしれない。
 

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